No.24

La cronica de Roque Santa Cruz
ロケ・サンタクルスの記録・・・古巣オリンピアに復帰!パラグアイ代表も応援してます。
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Roque:その時のスターになることを夢見ていました

先日お知らせしていたロケのインタを訳してみました。
相変わらずわからない所は適当に訳しているので、
間違っていたらごめんなさい。

paraguayroque.jpg

Roque Santa Cruz: “Soñábamos que éramos las estrellas del momento”

Q:子供の頃、あなたはサッカー選手になることを夢見ていましたか、
それともあなたの好みは騒々しいものでしたか・・・・・・・?

R:サッカー選手になりたかったです。
兄弟たちと一緒に小学校に到着したら遊び始めてました。
小学校では休憩時間にサッカーをしていました。
その時のスターになることを夢見ていました。
私たちにとってサッカーは全てで、
それ以上のものは必要ありませんでした。
私たちはプレステーションもatariもなかったし、
ボールだけで他には何もありませんでした。
通りに小石を二つ置いて2対2や3体3で遊んでいました。

Q:当時のあなたのスターは誰でしたか?

R:パラグアイではイタリアサッカーを見ることができました。
だから89年のナポリでCarecaと一緒のマラドーナ、
レアルマドリーのサモラーノ、
マルコ・ファン・ヴァステンがいたミランは強い時代で、
Rud Guli,バレージ、マルディーニがいて
それらを見ることができました。
私はブルガリアのストイチコフが好きでした。

Q:あなたにはアイドルがいましたが、
時間の経過とともにあなたがアイドルになりました。
後でその栄光を思い出すための最初の一歩はどうでしたか?

R:私たちは地区のコートで遊んでいて、
大きくなってきたら他の地区の子供たちと対戦したり、
毎週末は教会の子供たちと他の教会の子たちと対戦していました。
それで私は成長し89年の8歳の時に兄弟たちや地区の学校の友達と一緒に
空軍の開かれたサッカースクールに行きました。
パラグアイの一部のクラブでプレーすることが夢だったので、
そこでは一年いました。

それから良い順位で終わったので
パパが私達兄弟、オスカー、フリオと私を
クラブオリンピアに登録してくれました。
そこに90年から97年までサッカースクールにいて
15歳の時にSub17代表に選ばれましたが
Sub23代表には入れませんでした。

Q:あなたの最初の失望ですか?

R:その失望は私のキャリアを象徴するのもでした。
落選して心を痛めました。
私たちは25人いて定員は23人だったので、
落選した一人が私でした。
本当にそのチームの一員になりたかったので、
大きな失望でしたが、それはもっとプレーやトレーニングをし、
身体的に良くするためには役にたちました。
98年にはプレーを始め、オリンピアで全てが始まりました。

Q:El Rey de Copasでのデビューはどのような状況でしたか?

R:私のデビューはクラシコでセロとの対戦でした。
それは忘れることができないです。
オリンピアのスタジアムは一杯で興奮し、
試合は早く過ぎました。
とても良い試合をしたという記憶はありませんが、
ピッチにいたこと、たくさんの人々の前にいて
全ての文字(新聞?)がプロに感じ
デビューのセンセーショナルな感覚は残っています。
わずか一年後の99年には私のキャリアは大きな飛躍を遂げました。
オリンピアで優勝し、Sub20代表のナイジェリア大会に出て、
パラグアイで行われたコパ・アメリカの試合で代表に招集されました。
一年でフル代表に呼ばれたのです。
Q:8年いたドイツで00/01シーズンにリーグ優勝をし、CLも優勝し、
世界クラブ選手権でもタイトルをとりました。
ブンデスリーガで5回、ドイツ杯で4回のタイトルです。
ドイツサッカーはどうでしたか?

R:その時多くの噂やニュース、いくつかの行くことができるチーム
の話があり、そのどれもがビッグチームでした。
でも、バイエルンの人達とは何回も話し合いをしましたが、
レアルマドリーもありました。
頭から振り払うには難しいことでしたが、
冷静を保ち、一方で興奮していました。
チームに関係なく、ヨーロッパでプレーするつもりだったからです。

R:アスンシオンを去る時の事を覚えています。
交渉を決めるために行かなければならない事が決められました。
私はSan José de los Arroyosにある“Choco” Francoの家で
アサードを食べていました。
電話が掛かってきてアスンシオンに契約調印のために
行かなければならなくなりました。
バイエルンと契約したからです。
ドイツに行き、世界的な選手たちと一緒にバイエルンでプレーする
ということに興奮していました。
物事がうまくいっている夢のようでした。
それはパラグアイを代表することでした。
チームに合流した時は私だけでなくみんなが驚きました。
8年間は飛んでいるようでした。
毎日をとても楽しみ多くの事を学びました。
苦しんだり起きたことを考えている時間はありませんでした。
私のキャリアの中で集中していた時です。

Q:ドイツのグループSportfreunde Stillerがあなたに捧げた
曲の一部を歌えますか?
数ある音楽的の中であなたほど不滅な人(?)はいません。
あなたのものではない土地でそんな貴重な事を
どうやって受け取ったのですか?

R:(笑)偶然起こったことです。
グループのメンバーが私にそのアイデアを教えてくれ、
それが起きました。
“Ich Roque”はタイトルであり
あのことはスタジアムでゴールをした時の力を発揮しました。

Q:1999年から2016年の間に、バイエルンミュンヘン、
ブラックバーン・ローバーズ、マンチェスターシティ、
レアル・ベティス、マラガ、クルスアスルでプレーしました。
ブンデスリーガ、プレミアリーグ、スペインリーグ、
メキシコリーグでのことです。
オリンピアへのあなたの復帰はどのように、そして何故ですか?

R:人々は私がオリンピアのファンでクラブを愛している事を
知っています。
いつか戻らなければならないといつもわかっていました。
みんなが私に大きな愛を示していたし、それを私は感じていたし、
恩返ししたいと感じていました。
それを返す機会を得て、誇りと満足を与えてくれました。
キャリアを終えるためにパラグアイにいなければならない
と感じていたので、(戻ることが)起きました。

Q:2002年日韓、2006年ドイツ、2010年南アフリカと
3回のW杯の機会がありました。
それらを要約することができますか?

R:2002年は本当に素晴らしいW杯でした。
3大会のうちの最初の大会だったし、特別な愛情をもって
それを覚えています。
バイエルンで2年間プレーをしていたので、
良い時間を持っていました。

2006年はいくつかの痛みを感じた事を覚えています。
ベスト8に行くことができなかったし、
イギリス、スウェーデンで敗戦しトリニダートトバコで勝ちました。
不十分でした。
2005年に十字靭帯で3度休み、フィジカルはより良くはなかったので
良いW杯ではなかったです。

南アフリカは素晴らしい思い出です。
タタ・マルティノ監督が準決勝で再結成した素晴らしいチームは
優勝したスペインに負けました。
結果以上に参加したことに満足したし、
愛されているAlbirrojaの色を尊厳を持って守ってきました。
2010年の素晴らしい仕事は2011年のコパ・アメリカでの活躍を
もたらしました。
W杯でプレーをするという夢が叶い、目標も達成しました。
2002年の7月2日南アフリカ戦の39分にゴールをしました。

Q:2005年1月にサッカー選手でもあるあなたの兄のオスカー・ダニエル
が交通事故で死亡しました。

R:その時私は足の腱により多くの問題を引き起こした時で
2〜3か月プレーできずとても悲しい時期でした。
練習に戻り、走る時、オスカーが一緒にいて
後から来る困難に立ち向かう力を与えてくれると感じていました。
兄を失うことは恐ろしいことですが、
愛する者を失ったことにより家族が傷ついているのを
見ることは辛いことでした。
いつもインスピレーションを感じ、プレーを続けるための力になり
やった事に対して(?)誇りをもっていました。
近くに感じ彼の出発は精神的な事ではなく肉体的なことであると
感じたので、困難な時に励ましを与え続けてくれました。
だから今は(彼は)ベールをかぶっていて(?)
私たちに起きる事に注意をしてくれています。

Q:あなたは32ゴールしてパラグアイ代表チームの得点王であり
4人の父親で、繰り返し、アイドルで世界のサッカー選手の一人です。
あなたはロケ・ルイス・サンタクルス・カンテーロを手本として(?)
新しい世代の選手にどんなメッセージを与えますか。

R:一番重要な事は苦しみを知ることで、
もう終わりあるいは疲れて動けないと考えるような
困難な瞬間も楽しむことを学ぶことです。
それ以上の時間があり、努力の時間が報酬を与えます。
サッカーはあなたをもっと育て多くを与えてくれる職業であり、
いつも忍耐力を持っている人に褒美を与えます。

・・・・・・・
ロケがU23代表候補に選ばれていて最終的には落選したことは
知りませんでした。
ずっとエリート街道を歩んでいると思っていました。
勝手に比べて申し訳ありませんが、
同じように応援していた柳沢もそういうことがあったので、
勝手にやっぱり似てるところあるなあなんて思いました。

今更であったとしても
こんな些細な事も知るとやっぱりうれしいな〜

JUGEMテーマ:スポーツ

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